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【日本史裏話】学問の神様

こんにちは!おりくです!

 

 

 

 

 

意外と好評の日本史シリーズです笑

 

 

 

 ↑まだ見てない人は読んでみてください!

 

 

 

 

 

この時期になると、神社などにお参りする人もちらほらいますよね。

(自分は神頼みとかは嫌だったタイプ笑)

でも、今になってみると、もったいないことしたなって思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分その神社の代表例などが湯島天満宮、北野天満宮、太宰府天満宮だと思うんですよね。

そこに学問の神様、(天神様)などと呼ばれることが多いんですけど、それって昔に実在した人なんです。

これ誰だかわかりますか??

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、菅原道真なんです。

「あ、聞いたことある!」

って人も多いと思うんですよ。

894年に遣唐使廃止を提案した人なんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

この人、めちゃくちゃ頭いいんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

当時、摂政関白で栄えていた人がいますよね。

そう、藤原氏なんです。

でも、当時の宇多天皇の立場としては、

藤原氏が実権を握っているのは面白くないんですよ。

だから、菅原道真を可愛がるんですが、

藤原氏としては、当然面白くない。

 

 

 

 

 

 

 

だから、宇多天皇の次に即位した、醍醐天皇に藤原氏は言わせるわけです。

「お前、太宰府行きな。」

醍醐天皇と強い繋がりがない菅原氏は、

これを受け入れるしかないわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰府って言ったら、今の福岡県なんですけど、

「え?福岡栄えてるからいいじゃん!!」

って思う人も多いんですけれど、

今でこそ、そりゃラーメンだってあるし、

九州の中で1番栄えてると言っても過言ではないんですが、

その当時は都から離れてるから、全然栄えていないんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉学好きだった菅原道真にとってはこんなに悔しいことはないですよね、、

都では手に入った貴重な本でも太宰府では手に入らない。。

その想いを綴った有名な和歌があるんですが、これはまた今度で笑

そして、太宰府に左遷された2年後に病で亡くなってしまうんですよね。

(昔って残酷だ、、、)

 

 

 

 

 

 

やっぱり怨念ってものはあるんでしょうね。

菅原道真の死後は壮絶でした。

まず、道真を左遷したことによって、

政治のトップに上り詰めた藤原時平は 

政治改革に乗り出すんですけど、

時平と共に道真が左遷されるきっかけを作った藤原菅根が病死し、

その翌年に時平自身が急死します。

そして時平と結託して道真を失脚させた

源光は、狩の最中に溺死。という悲惨な結果を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さらにそれだけではありません。

 

 

 

 

 

 

 

なんと、天皇家のお家にも雷が落ちて、多数の死者が出ました。

もはや、これが偶然と言えますか?笑

 

 

 

 

 

 

 

しかも、昔の人はこれが電気だということも知りません。

「道真が天神様になって、祟りを与えたに違いない。」

と思うわけです。

 

 

 

 

 

 

 

そして怨念を抑えるために、京都に北野天満宮が建てられ、

今の、受験前の参拝場所となっているわけです。

 

 

 

 

 

 

 

天神様と呼ばれるのにも理由があったわけですね。

こういうの知ると、日本史めちゃくちゃ面白くないですか?笑

ちょっと今回長かったのですが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

また好評なら出そうと思います笑